先日、福島の安全なりんごを友人に送りました。いつもありがとうと連絡をくれる友人
から連絡がない・・・それもそのはず・・・今話題の杭工事を建設したゼネコンにいる
ので・・・
これは約6年前かな・・・彼の結婚式での写真です。
日本大学 工学部 建築学科在学中、勉強を教えてくれ、お互いの家を行き来し、
早くに母を亡くした沢山の共通点があり、親友であります。
電話も繋がらない・・・昨日の夜中2:42にメールが来ました。
「どうしても電話で話したかったが、全く時間が取れません。家にもいつ帰ったか
覚えていません。毎日仕事が終わるのが深夜で、寝る前にやすを思い出します。
震災時、やすもこうだったよな・・・りんごありがとう!でも、まだ見れていないんだ・・・
必ず電話するから!やすの声が聴きたいです。」
夜中に泣きました。彼はその現場ではないと思う・・・会社の運命が掛かり、皆で
仕事をやっているのだと思う。私には何もやってあげれない・・・
彼は福島市出身で親・兄弟がこちらにおります。震災時に会社で寝泊まりをしている
事を伝えると、アウトドアの簡易ベットを郵送してくれた思い出があります。
自分が何もしてあげれないのが、もどかしく・・・辛い・・・
俺も彼に逢いたい・・・話を聞いてあげたい・・・でも休ませたい・・・仲間として、人と
して何をしてあげれるのかを考えたい。
彼の母は、我々が24歳の時に他界し、仙台から福島に涙を流しながら車を運転して
行った事を思い出しました。結婚式も仲間11人の最後で、皆で朝まで飲み明かした
な・・・いろんな事を思い出します。
可能であれば、二月に横浜に出張の機会があるので、落ち着いていたら逢いたい。
震災の時はみんなこんな風に思ってくれてたんだな・・・なんか情けない・・・
俺は何があっても飛んでいくから、いつでも呼んでくれ!何かさせてくれ!